先日「人に優しくすることで無意識に自分を癒している人もいる」という言葉に触れて、ハッとしたのでここにシェアします。
自分がひどく傷つき、寂しさや悲しさ、やるせなさを心の奥に抱えていると、同じような目に遭っている人や困っている人を見て、いたたまれなくなって助けてあげたり優しく接することで自分を慰めている人はいると思います。自分もそうなんだ、と改めて意識しました。
それまでは心のどこかで「自分は愛に満ちたいい人」と思っている節がありました。
でもそれは、相手から感謝の気持ちを向けてほしいとか、私のことをいい人と思ってほしいとか、あるいは、かつて自分がそのように愛を向けて欲しかったことを自分で行うことでぽっかり空いた心の穴を埋める代償行為だったんだな、と気づいたのです。
もちろん、代償行為だけでなく、真に相手を思っての優しさで接していたこともあるとは思いますが…。
本当の優しさって相手を思えばこそ、時には厳しい態度で臨む必要があります。
それができないときはまだ相手のことよりも「自分が癒されたい」段階なのだと思います。
それがいけないというのではなく、そういう段階にいるのだと自覚するだけでもいいんじゃないかなーと思います。
そうじゃないといざ人に親切にしようとしても躊躇しちゃって行動に制限がかかってしまうでしょうし。
東日本大震災が起こった時の話になりますが。
知り合いの業者さんが下着の通販をしていたのですが、震災の翌日くらいに、ある大物演歌歌手Sさんの事務所から【肌着1万人分】(多分それくらいのものすごい数)の注文が初めて入ったそうです。すごく驚いてとにかくそれだけの数を揃えて事務所に送ったと言っていました。
この大物演歌歌手Sさんはボランティア活動に熱心な方で有名です。
他にも歯ブラシと歯磨き粉1万人分を届けたという噂話を聞いたことがあります。(正確な情報はわかりませんので違っていたらご容赦ください)
そんなSさんが現地でボランティア活動に従事しているところへ「売名行為ですか?」とマスコミがマイクをつきつけたそうです。
彼は冷静に「そうですよ、売名行為ですよ。あなたもそんなひどいことを言う暇があるなら自分でやってみたらいいじゃないですか」と返したそうです。
「やらない善よりやる偽善」ですね。(Sさんの行動は売名行為でもなく偽善でもないのは明白です。ちょっと例えが適切ではなかったですね💦)
だから自分がやろうとしていることが自己満足だろうが、自分を癒すための代償行為であろうが、そこで躊躇して反省したり考えたりしてもしょうがないと思います。相手が喜んでくれたらそれでいいじゃないかと。
あとは押し付けやおせっかいにならないように気を付けたいですね。こればっかりは相手の性格や考え方があるので時にはトラブルや失敗につながるかもしれませんが。
「場数を踏む」しかないかなーと。
と、そんなことを令和6年が終わろうとしている今、思いを馳せています。
(さ、大掃除やろうっと😊)
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